2017年4月9日日曜日

【色々かいろ】よ

*本日、生きた証*
 日中:大正地域振興局にてリサーチ&事務作業
  夜:家地川公園にて夜桜拝観

いさまCね

スポーツですか、カヌー。
それまであまり注目度が高くなかったのに、見目麗しい選手が活躍することで認知度やファン数が突如爆発する競技があります。
昨年のリオオリンピックで顕著だったものといえば、やはりカヌーでしょう。
個人的には「アクティビティ」あるいは「レジャー」のイメージが強かったため、障害物を超えたりタイムを競ったりする姿はかなり新鮮に感じます。
確かに銅メダルを獲得した羽根田選手はイケメン、というか可愛らしい顔、一方で激流を華麗に切り抜ける姿は勇ましいですねえ。

勇ましいといえば。
幕末・明治に活躍した男たちには、今の時代では想像できないほど勇猛果敢に生き抜いた人が多くいますね。


今はなき像

陸軍軍人として、また教育者、政治家、思想家としても明治の新国家づくりに貢献した、我が四万十町が誇る偉人といえば、こちらでも再三取り上げている谷干城でしょう。

天保8年(1837)、代々国学者であった家に生まれた谷(幼名・申太郎)は、幼少時代を窪川村で過ごしました。
その頃のエピソードとして、吉見川で水遊びをする際に友達から「おんしゃ、ノミがわいちょるきに、下であびよ」と嫌われ、独りぼっちで水を浴びたといいます。
父は土佐の藩校に務めていましたが、谷家の中では分家のさらに分家で家禄がなかった上、3歳の時に母を亡くしたことから、妹と共に身の回りの世話が十分に受けられなかったのでしょう。

参考資料(昭和58年発行)

それにしても、13歳の元服で改名した「干城」(かんじょう/たてき)って不思議な名前だなぁと思っていたら、由来は中国最古の詩集『詩経』の「赳赳武夫公侯干城」という詩句だそう。
すなわち、「赳赳しい(たくましい)たる武士は公侯の干(盾/たて)となり、城となって守る」という意味で、学者であった父が我が子に託した期待がうかがえますね。
(ちなみに、福田赳夫元首相の名前もこの詩句にあるんだとか!)

写真は明日の高新で

さて、今頃の季節に「期待」するものといいますと、やはりお天気でしょう。
なぜって?

実物はもっとry

皆、取り憑かれたかのように花見がしたいからさ!
くどいようですけれど桜がもうクライマックス、実際昨日まで雨続き、さらに明日は大雨ってんで、まさに「今しかない」日曜日だったのです。

苗字の割に花全般への関心が薄い私でも、普段は振興局へ直行してしまう大正の国道を少し先まで車を走らせ、大奈路まで様子を見に行ってしまいました。
(実は、更にあとちょっと行けば、野に広がる蓮華と桜が一緒に見られるスポットがあったそうですが、時すでに遅し。)

降り続いた雨で河(上の写真は四万十川の支流・梼原川)の水量は多め、少々濁っていましたが、やはり雄大な自然を背景にするとお花も映えますねえ。

谷干城を教育ツールの素材としてうまく活用できんかしらん、と資料を漁りながら企画を考えたのち、再び薄紅色の景色を求めて繰り出します。

まだ明るい

向かったは窪川の西端、大正との境に位置する家地川地域の公園。
役場に眠っていた(オフレコか?)立派な照明装置をどうにか活用しようと、昨年からライトアップイベントが開催されているのであります。
実はこれ、当初は去る2日の「家地川桜まつり」に併せて行われる予定だったのですが、あいにく大方の蕾は固く閉じたまま。
しかも冷たい雨に見舞われたということで、6日、けれどそれでもアウトでさらに10日へとリスケジュールを重ねていたのです。

実物はもっともっとry

が、予報が変わって明日は荒天、これはマズイと急遽今晩灯りが点されました。

到着した頃はまだ明るかった空も19時近くにはとっぷりと暮れ、赤・ピンク・紫・青……と次々に移り変わるライトが満開の花びらを照らし、辺りは幻想的な雰囲気に。
直前の日程変更だったにも関わらず、噂を聞きつけた多くのお客さんで賑わっていましたとさ。

こうして闇に浮かぶ桜並木をぼぉっと眺めていると、昨今自分の頭をぐるぐる巡っていた諸々の悩みごとも「ま、人生【色々かいろ】よね」と少し突き放すことができたり。
100万ドルの夜景に興味はないけれど、時には何も考えずに綺麗な景色を見て夜を過ごすのも悪くないな、と思いました。

てんで、本日の高知ことば【色々かいろ】は【なんやかや】や【あれやこれや】という意味で使われます(おそらく、 幡多や西予のほう)。
 例)最近? んん、【色々かいろ】あるけんど、どうにかやってるよ。

ほんじゃーに。

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