2018年7月25日水曜日

エンドレスMOVE

ギリギリでいつも生きていたいから?

あ! ども! たっちーやんけ。

片付いてますか、部屋。
私はさほどモノが多いほうでもないはずなのに、引っ越し直前でも大変に混然とした状態であり、心底自分に嫌気がさしています。
部屋にはその人の心境が現れるといいますが、まさにその通りだと認めるし、普段から整理が行き届いてないことも認めますよ。
もう、あれこれポイして帰りたいっ! どうせならこれまでの人生もポイしたい!! この腫れぼったい顔と土偶のような残念な形の体もポイポイ!!!
てな具合で、引っ越しとはてんで関係のないところでやさぐれちゃって嫌ね。

で、いざ遠くへ行くとなりますと、ありがたいことに連日……

しゃれおつ籠膳


送別会をしていただいております。

こちらに来るときはすでに前職も辞めていましたし、いかんせん唐突だったこともあって友達とごはんへ行くぐらい、「送別」的なこともあまりありませんでした。
元々、人との付き合いは”一対一”が多く、グループで活動したり遊んだりということがほとんどなかった人間だったこともあるかもしれません。

が、この度はありがたいことに、多方面で送り出していただいておりまして。

四万十町でのお付き合いは、これまでの自分にとっては珍しい、”コミュニティ”でのものが多かったのだなぁと改めて気づかされます。

他方、そうでない形でお世話になった方もたくさんおられるので、個別でご挨拶に伺ったりもしていますが(周りきれていないけれど)、年齢や性別、職業を超えた繋がりも含め、人付き合いの面でも初めてのことを多々経験させてもらった2年間といえます。

もちろん、ネガティブな面での「田舎あるある」、例えば

人間関係が狭すぎる、政治や過去のシガラミがややこしい、車が覚えられていて行動が周囲に把握されている、プライバシーや秘密が守られにくい、根も葉もない(時々ある)噂話に花が咲きすぎている、直接文句や注意を言わず陰口を叩かれる……

…等々も経験したわけで、地方移住検討者に「田舎はあったかいから最高だよ!」と良い面ばかりを推すことはありません。
そんな甘い話があったら、地方から都会へ出た人の大半がすぐさまUターンするでしょう。

けれど、しんどかった諸々を差し引いても、地元の方には良い思いの方をよほどたくさん、たくさんさせていただいたと感じます。

お宅でも

こちとら突然外からやってきた、地域も何も知らん、ろくな志も持たぬフラフラした20代後半、かつ基本的には孤独を愛する自己中心的性格ですのに……想像以上に懐が深いよ四万十町、高知県。

美味しいものを食べたり、遊びに行ったり、農業や釣りのような未知の体験させてもらったり、と楽しい時間を一緒に過ごしてもらうことだけでなく、豆腐メンタルの自分が心身ともに落ちた時に物理的・精神的に支えてもらう場面も多々ありましたし。

つくづく人には恵まれる人生だと思わされます(もっとも異性関係については「見る目のなさ」「寄ってくる人の変わり者率の高さ」に昔から定評がある私、こちらでも安定の残念さを発揮したけれど)。

が、今振り返るまでもなく常々思っていたことながら、自分は与えてもらうばかりで結局ろくに返せていない、あるいは他の誰かに与えられていないのですよね。

タン塩…じゅるり

人にこう話すと「いやいやそんなことはなかろう」と励まされますし、私だって身近な人に同じことを言われたら同じようなフォローをするのでしょうが……それでもやはり、インプットとアウトプットの質量がきちんと釣り合ってない気がしてしまいます。

残りの人生、まぁ何年あるかはわからぬものの、少なくとも生きている限り(お世話になったご本人に大してだけではなく)優しさや気遣い、寛容さをもって過ごせるでしょうか。
いや、そう過ごさねばならないですね、決して簡単ではないけれど。

ほんじゃ。

2018年7月23日月曜日

Ready for ばいばいきん

伝えきらないこと

どうも、たっちーです。

干からびてませんか、夏。
もうカリカリベーコンだよ! 馬鹿じゃないの!! て闇雲に怒鳴りたくなるぐらい高温ですね今年は。
7月9~15日の間に熱中症で搬送された方は全国で9956人、昨日23日までに11人の方が亡くなっているとのことで、いつ自分や身近な人が襲われるか分からない状態が続いています。
お年を召した方や冷え性の方にはエアコンが苦手な方が多いですが、この気温と湿度は想像以上に殺人的、直接風が当たらないようにして極力活用していただきたいものです。

干からびるといえば。

ど・れ・に・し・よ・う・か・な
@道の駅あぐり窪川

「毎日の更新は辞めましてん」と宣言して以来、めっきりブログをアップしなくなったせいか、久々にお会いする方に「生きてた?」とご心配いただくことがしばしば。
町内で頻繁にやりとりをする方は別だけれど、ことに関東の友人知人にとってはこのブログをもって生存報告としてきた四万十生活でして、あまりにこれを怠るのは確かによろしくないのかも。

で、結局何が言いたいのかというと、おかげさまで元気です、と。

少なくとも、生きています、と。

こうしてほぼ無意識に「少なくとも」と書き出したけれど、「生きている」状態は決して当たり前ではないにも関わらず、比較的治安の良い国に住む私たちは普段その貴重さを実感することは少ないですね。

ありがたみに気付かされるのは、先の豪雨災害が起きたり、親しい人が病や事故で命を落としてしまったり、あるいは自分自身が体調を崩したり……のように、何か大切なものが失われた瞬間であるのがほとんどです。

それゆえに、周りの方々に日々支えられていることも普段は中々意識ができなくて(きちんとできている人もいますが)、感謝の気持ちをことばで伝える機会は限られています。

塩ミルク味にした
ンマー

分かりやすいのは、就職や転職、引っ越しや結婚、妊娠・出産、子どもの入学や成人といったライフステージが大きく変化する場面でしょうか。

29歳を目前にしつつ、自分の場合は結婚も出産もてんで予定がないけれど、その分(?)人並み以上にフラフラと生きてきたせいか、引っ越しや転職は多いほうだと思います。

というわけで、否、文脈的にはさほど適切ともいえないけれど、私は職と住まいの履歴を再び塗り替えることにしました。

この決断に至るには職場環境や今後のキャリアのこと、家族の体調のことなど様々な事情があるものの、紆余曲折した経緯を詳らかに語っても大して愉快な内容でもありません。

ゆえにこちらでは省略しますが(もし気になる!なんて稀有な方は直接お聞きください)、唯一主張したいのは「今の環境に不満があって出て行くのではない」ということです。

神社のうさぎも溶けかけて

四万十町/高知の方々、また協力隊の活動を通じて出会った方々には本当に、本当に良くしていただいたので、とにかく感謝しかありません。
もちろん楽しさばかりではなく、しんどいことも多々あったけれど、そうした経験を与えていただいたと捉えれば何ひとつ無駄はなかったわけで。

一方で、地方への定住を前提とした地域おこし協力隊の立場にありながら、わずか2年間で任地を離れることに対してはあれこれと非難を受けて当然ですし、結果的にたくさんの方を裏切る形になってしまったのも重々承知しております。

そんな申し訳ない気持ちもあるからこそ、本来はお世話になった方のひとりひとりにお礼の気持ちを伝えなくてはなりませんが、例によってバタバタした人間なので既に時間が足らぬ事態……。

だめねぇ、まったく。

そして冷静に数えてみたら人生で13回目の引っ越し、「まーどうにかなるろ」と悪い方向に慣れてしまって全然やる気が湧かない、しかし誰がやってくれるでもなし、この暑さで汗だくになりながらてっちりてっちり準備を進めたりして。

引っ越し方法にも現れる、我が人生の計画性のなさを嘆きつつ、残り一週間を切った四万十町ライフを無事に過ごしたいと思う次第であります。

ほんでは。

2018年7月10日火曜日

ただ、その身を案ず

今はまだ

どうも、たっちーです。

忘れましたか、冒頭。
記事を投稿するのがあまりに久しぶりなので、今までどんな文章を書いていたかすでにあやふやになってきたと思います。
1年半以上、毎日憑りつかれたように続けていたことも、一度気が抜けるとだめですね。
でもまぁ、ゆるっといこうかなと。

さて、今日はちょいと真面目モードに。

まずもって、連日の豪雨で被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

四万十町を含む高知県西部も、県では初めてとなる特別警報(大雨)が発令され、宿毛市や大月市では浸水や土砂崩れ、東部でも物部川の氾濫をはじめ多数の被害が出ました。
(幸い、四万十町では一部土砂崩れが起きた程度で済み、大きな被害はありませんでした。ご心配くださった方に感謝申し上げます)

7月10日現在、県内では死者1名、行方不明者2名。
これだけでも十分に悲しいニュースですが、他県に見回せば目も当てられない状況です。

同じく本日現在、死者126名、不明79名(高知県含む)。



広島、岡山は全国ネットでも多数報道されていますが、お隣愛媛県でも死者19名、行方不明8名と、何度か訪れて親近感のある宇和島でも甚大な被害が出ており、自分のところが無事だったことはまさに紙一重なのだろうなと思わされます。

それにしても、この度の雨は長すぎ、そして広域すぎました。
(気象に関する専門知識を持ち合わせてないのに語っていることをお許しいただきたい)

低気圧の影響か頭痛もひどく、さらに悪天候となっては外に出る気もおきず、週末はほとんどひきこもっていた私は長らくテレビをつけっぱなしにし、SNSなどで随時情報を追っていたのですが。

九州や広島、岡山でじわじわと広がる影響に慄きながらも、8日はさすがに雨雲も通り過ぎて落ち着くだろう、と思った早朝。
鳴り響いた特別警報のエリアメール(アラーム)には驚いて跳ね起きました。

ざんざんと耳につくほどの雨の音、そして全町への避難指示。

高台の2階だから、ひとまず様子を見ようと避難準備をさっと済まし、その後も報道やWEBで情報を追い続けます。

一面が茶色の水に浸かったまち。
巨大な流木や落石、土砂に押しつぶされた建物や車。
オモチャのアヒルのように、濁流に流されてゆく住宅。

道路が寸断されて報道部隊の入り込めない地域も多く、被害の全容が中々明らかにならないなか、みるみる内に増えていく被災者の数……この光景にどこか既視感があったのは、やはり東日本大震災でしょうか。

津波に飲み込まれるまちの様子がリアルタイムで捉えられた映像は、まるで映画のワンシーンのようで、現実味がまるでありませんでした。

限りなく悲惨な状況なのに、そこから目が離せない。

被害のひどい地域の近くにすむ友人や知人の身を案じて連絡をし、無事を確認して多少の安堵を得る。

そして、自分も少なからずその災害の影響を受けているにも関わらず、いまいち当事者意識を持てない。

結局、何もできずにいる。

もちろん個人的な物資の送付や、受け入れ環境が整わない状況での物的・人的支援は救助や復興の妨げになることは重々承知、今は募金ぐらいしかできないとはわかりつつも、もどかしさは募ります。

そして今回は、震災の時とは異なる憤り、違和感もあります。

死者・行方不明者の数という面では、確かに震災とは比べものにならないけれど、それにしても今回は報道での取り上げられ方があまりに少なく、また政府による対応もお粗末だったのではないかと。

TVに限っていえば、これが東京を含む関東のことだったら、全国ネットでもっと報じられ、バラエティ番組やドラマなどはほとんど放映されなかったのではないか。

いくら事前に予報や警戒情報が流布しているととはいえ、地震に比べ、避難が遅れた人に対して「自己責任」の風潮が強いのはどうなのか。
(避難が必要かと思っても、高齢者や乳幼児を連れている方の場合、簡単に動けるものではないでしょう)

そして明らかに自治体レベルではどうにかできる範囲を超えているのに、国は災害対策本部すらすぐに設けないのか。

このモヤモヤを漏らし始めたらキリがないし、ここに書いたところで世界は何も変わらないとわかってはいます。
けれど、残さなければきっと私の中からも流れ、いつか消えてしまうから、あえて記しておきたいと思います(震災の時に後悔したので)。

憤りや違和感をどれだけ持ち、発信しても変わらないのは、命の助かった方も、元のような生活を送れるようになるまでの道のりは険しく、また長いこと。
死者や行方不明者数が、どうか一人でも少なくあるように願いながら、不満を漏らす以外に自分に何ができるだろうかをきちんと考えていかねばなりませんね。

いつも以上の駄文で長文、どうも失礼いたしました。

ほんじゃ。

2018年7月3日火曜日

気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝

あったか家族

どもーたっちですか。

心配されてますか、わたくし。
最近、お久しぶりの方にもそうでない方にも「大丈夫?元気!?」と気遣っていただくことが多いです。非常に。
よほど顔色が悪いのかしらん、なんなら痩せちゃった☆?と鏡を覗くもむしろ肉が余計についている、単にブログやSNSにネガティブワードを過剰に並べていたせいのようです。
もともと自虐ネタがベースですから仕方ないとはいえ、思えばここのところ暗さに拍車がかかっていたような気もする、そして更新頻度が格段に落ちているってんで。

しょーもない文章を書くしょーもない自分、を気にかけてくださって。
こちらで出会う皆さん本当に!
あたたかいの!!!!

都会だとこうはいきませんよ、人がいすぎるせいか職場や友達付き合いでお互いのことそこまで気にかけてないもの(全てがそうとは言わぬけれど、あくまで自分の実感として)。

「いやいや、狭くて濃い地方の人間関係は息苦しい、都会ぐらいの距離感がぼっちり!」と感じる人もいて然りで、どちらの方が良いか悪いかを評価するのはナンセンス、個人に合う合わないの問題です。



いただいたキュウリの巨大さを伝えたい
伝わるのか

少なくとも私の場合、こちらで他人に優しくされるたび心底有り難いと、他方で自分は真に周囲への配慮が足りないと痛感してきました。
深い反省を伴いつつ、高知に住まなければ一生気づく機会もなかったと思えばとても貴重な経験をさせてもらっていますし、こうした気づきは移住を考える方々にも率直にお伝えしています。
(上のお土産巨大キュウリも優しさの一つのカタチであり、物品に関わらず自分も気遣いができるようになりたいと思ふ。)

そして続いていく

さて改めて振り返ってみれば、確かに悩み深き時期が続いております。

とはいえ、ま、人間だもの。 誰かしら何かしら抱えていて当然です。

もちろん先にも述べたように、自分が身近な人の課題解決やストレス解消の一助になれるのであればやぶさかでなし、喜んで力になりたいのは間違いありません。
何より私自身、声をかけてもらうこと、一緒に時間を過ごしてもらうことによって、気持ちが大いに前向きになったり、楽になったりしますから、誰かにとってそういう存在になりたいとも思います。

一方で。

最近、まんまとハマっている金原ひとみ作品で繰り返し描かれる、以下の認識には基本的に同意するのです。

最近一番笑ったオヌヌメ本
(タイトルの割にコメディベースです)

「わかる~!」と一見、理解・共感されやすい/しやすいような想いや考えも、(たとえ近しい、類似したものは存在したとしても)本当の意味で他人と共有するのはほぼ不可能である、ということ。

故に(こと精神的な件について)誰かに救って欲しい、あるいは救ってもらえるとは思えない、自らを縛るのも楽にするのも結局は自分以外の何者でもない。

環境が変わっても、結局は自分が変わらなければ根本的な変化は得られない。

のです。

けれど移住を検討される方の中には、都会で溜まったあれこれを置いていきたい、とかく今の状況から抜け出したい、という気持ちが強まっている人がしばしばおられます。

ストレスフルな現代社会だから仕方ないし、移住理由として十分正当なのだけれど、「結果的に何も変わらなかった」→「移住したのは失敗だった」とならないために予め釘をさすのも、移住相談員としてのお仕事でありましょう。
現実を見るよりも、夢や理想を描く方が容易く、周囲の手助けもいりませんから。

て、いつにも増してとりとめがなくなってきましたので、まとめていきましょう。

ひとまず、自分について。
これといって大きな変革を望んで四万十町へ来たわけではないものの、移住して良かったと思っています。
社会的な成功とか失敗とか、その辺りは正直分からないし評価される気もないけれど、するべくした、なるべくしてこうなったのでしょう。

そしてこれから田舎暮らしを考えている方について。
あなたが迷っていたとして、もし少しでも動ける立場にあるならば、やはり一度来てみたら良いのでは。
事前に情報を仕入れるより、楽しいこともそうでないことも、来て、住んで、体感する以上に分かることはありません。

それはきっと、どこの地域を選んでも一緒でしょうし、インスピレーションとか運命とか縁とかいった類のものは、思いのほか信頼に値するはずです。

なーんて、偉そうに。
ほんじゃね。