2018年6月28日木曜日

沈没、時々浮上

ところがどっこい

どもども? たっちーです。

酩酊してますか、飲み会。(本記事のタイトルは言わずもがな、スーダラ節です)
呑みの場やお酒、肴の類を心から愛しているけれど、アルコール分解能力は高くないので割合すぐに酔っ払います。
ただし気持ち悪くなったり絡んだり、ではなく眠くなるだけだから……なんて油断していたら、つい先日「後半の記憶をほぼ失う」という事態に直面しました。
量はそれほどでもなくとも(実際覚えていなければそれも曖昧)、暑さで渇いた体にいつも以上に染みたのかしらん。
初対面の方もおられた場なので、記憶のない間に粗相をしていないか不安になれど、まぁ今さら仕方ないよねと。

斯くして久々に酒に飲まれてしまったのは四万十町外でのこと、というのも先週末から出張+帰省で東京→神奈川に滞在していたからで。



東京 × 四万十町のHOTトピックいえば、やはり「四万十町東京オフィス」でございましょう。
首都圏で四万十町観光や移住、産業などの最新情報を発信し、町出身者や縁のある人をつなぐ拠点として今月1日にキックオフイベントが開催されたばかりです。

もっとも、占有の建物に常駐のスタッフが……という訳ではなく、フリーペーパーを主としたメディア事業を手掛ける「株式会社ぱど」さんのオフィス内のスペースをお借りする形。
現状はポスターやパンフレットの設置を通じたPRがメインですが、今後移住促進や地産外商関連のイベントを開催したり、首都圏のパートナーさんなどとの打ち合わせ場所などに使われる予定なので、機会のある方はぜひ一度訪れてみては如何。

さて今回の出張の主目的は「高知暮らしフェア」、移住相談会であります。


田舎暮らしや四国/高知での生活に興味のある首都圏の方に、各市町村や企業の担当者に直接住まいや仕事、子育てなど様々なお悩みや疑問をお話しいただける場。
なかなか、現地まで気軽にはいけない距離ですからね高知は。

他方、自治体・企業にとっては県外での魅力PRの場でありつつ、高知への移住や就職・起業を考える方にとって何がネックになっているのか、どのような支援が必要なのかといった実態・ニーズをヒアリングする場として貴重なのです。
ちなみに今週末は大阪版が梅田でありますので、関心のある方はぜひ!

毎度おなじみ有楽町の東京交通会館で行われましたが、今回は同じフロアの別ホールで北海道と愛媛県が移住相談会を開催中、はしごされる来場者も多くみられました。
ひとくちに移住希望/検討者といっても、具体的に地域を決めていない方も多数おられるので「当初考えていたところではなく、ついでに立ち寄った地域がより魅力だった」となる可能性も少なくないですね。

地方はどこも移住者獲得に躍起になっていて、他の動きを見て負けじと支援策や制度を拡充する傾向にあるのは、むろん良いことだと思う一方……
国として減少してゆく人口、少ないパイの奪い合い感が強すぎて、やはり懐疑的に見てしまいますね。

そもそも地方創生って何なの。

どういう状態が「活性化」された地域なの? 
それはいったい、誰のため? 何のため?

国や自治体(関係者)が、変わりゆく環境を踏まえて常に真剣に議論しなければならないのはもちろんだけれど、移住(検討)者自身も、そして各地域に住む人もそれぞれが考えるべきですよね本来。

何を今さら、かもしれませんが、時々フツウのことを書く、のでした。
ほいじゃ。

2018年6月20日水曜日

丸くて赤くて甘苦しくて

予想GAI

あ、どーもー、たっちです。

桃のうちですが、李。
リ、じゃなくて、スモモ、と読むことを、タイピングして思い出しました。
仕事をするにも日常生活を送るにも、手書きをする機会がどんどん減ってしまったこのご時世、語句としては頭に浮かぶのに漢字がスッと出てこないことが多くなりました。
ペンでまとまった字を書かなくてはならない場面にでくわすたび、以前に増して字が下手になった気もしますし、テクノロジーの進化、に伴ってこちらは退化しているに違いありません。
時にはリハビリ(?)にお手紙でも認めましょう。

要は今日のトピックがスモモということ。


写真が、否、カメラがあれなのでちょっと見栄えが悪いですけれど、朱色に染まった可愛らしい実をいただいたので自慢したいの。

パソコンをカタカタやっておりましたら、我が釣りの師匠、かつ農の師匠のお父様から「キビがとれたき、役場持ってっちゃお! モモも落ちてきゆうき、やお!!」とお電話を頂戴しまして。

『モモ』と聞いて私がイメージしたのはピーチ、いわゆるゴロンとした白桃あるいは黄桃でしたから、差し出された袋の中のものの大きさと色にちょっとビックリ。

我が人生において、この瞬間以上に「スモモもモモもモモのうち」をリアルに体験(?)することってないのでは……なんて思ったりしてね。

でも調べてみたら、話はそう簡単ではないようで・・・
スモモは主に「西洋すもも」と「日本すもも」に分けられ、前者はいわゆるプルーン、後者はプラムとしてお馴染み、けれどいずれもバラ科だけれどモモ属の白桃とは違い、サクラ属なんだとか。

モモのうちじゃないんかーーい。

ま、美味けりゃ何でも良いか、と口に一粒ほうり込むと、その甘酸っぱさが何とも爽やか。

ジメジメの梅雨はビタミンで乗り切りべし。

ほんじゃに。

2018年6月19日火曜日

ハット派? キャップ派?

腹ペコ探検隊

どもどもどもー、たっちです。

しけってますか、文章。
私の書くもの、SNSやメールは分かりませんが、ことブログに関していえばたまに会う協力隊の先輩(卒業生)に「あのブログ何なの、大丈夫?病んでるの?」と訝しがられる程度のダークさをまとっています。
生まれ持っての性質が超ド級のネガティブゆえに、意識的にも無意識的にも漏れ出ることばは暗かったり、棘があったりしすぎるようですが、一方で突拍子もなくふざけた言動もするので、よう分からんヤツかもしれません。

それはさておき「田舎暮らし」を紹介するブログでねとねとした内容ばかり垂れ流すのも感じが悪いってんで、今日は久々にご当地フードネタでまいりましょう。

高知っ子のオヤツといえばミレービスケット、芋ケンピ、アイスクリンなどが鉄板ですが、忘れてはいけないのがやっぱりこれ。

でろりん

え? こんなもん見たことないってか?

ううむ、大方の人にはそうかもしれません、なんてったってアイドル……じゃない製作過程ですからね。

上の写真は、春先から月1でお世話になっているパン教室での一コマ、定番のあれを市販のものよりやや小ぶりのサイズで、ラムレーズンを隠し味にしての仕込み風景でございます。

軽めのパン生地に、バターリッチの生地をトロリとのせましたらいざ、オーブンへGO!

ちょっとツバとれ

ここまでくればもうお馴染み、ぼうしパンであります。

昭和30年頃に高知の或る職人さんが、通常は発酵前にクッキー生地をかぶせて焼くメロンパンを製作中、かけ忘れたひとつのパン生地に気付き、焼く直前にクッキー生地をかけてやいたのが発祥だとか。

かぶせた生地が帽子のつばのようにひろがった偶然の産物、その出来が思いのほか上々だったもので、改良を重ねるうちにクッキー生地はカステラ生地になり、「カステラパン」として世に送り出されたそう。
ほんで人気が出るにつれ、お客さんによる愛称の「ぼうしパン」の名で市民権を得て、県内の色々なパン屋さんが作るようになりました、とな。

ジューがシーなの

私も、学生時代に初めて高知を訪れた際に食べてすぐにファンになったのですが、中に餡やチョコレート、クリームが入ったもの、生地が抹茶やキャラメルのものなどバリエーションが色々あり今でも飽きません。

て、あれ、こんなことは以前にも書いたような気もしますけんど、いかんせん記憶力がごみなので許していただきたいわん。

ちなみに同じく初の来高時に訪れて気に入ったご当地フードは、ローカルお弁当チェーン「食いしんぼ如月」のチキンナンバンです。
こちらも地元民にはお馴染み、下味のつけた鶏むね肉を薄めの衣で揚げ、ピンクがかった秘伝のタレがたっぷりかかっている一品は、揚げ物ラバーズとしてはたまりません……。

南蛮といえば宮崎のご当地フードとして有名ですが、如月が県民から絶大な支持を得る大きな要因ではないかと思われるのはこのタレであって、単なるオーロラソースではなくミルキーさと酸味を感じさせ、どこか中毒性があるのですよ。 すき。

これも良い

もっとも個人的に、フライドチキンしかり油淋鶏しかり、鶏を揚げたもの、あわよくばそれに何かかかった食べ物にどうも強く惹かれるようです。

体が旨い鶏唐+αを欲している! しかしこの近辺に如月はない!!

てんで、もし四万十町でこの手のものを食べるとしたら断然、窪川の「古梵」さんを推したい。

一般的には焼き鳥屋さんとして認知されていると思いますし(無論それも美味)、その他のメニューではゆでタンの評判が高いそうですが、私はこのジューシーかつこれでもかとソースのかかったチキン南蛮をこよなく愛するのである。

写真を見たらまた食べたくなってきてしまいましたが、このところ外食が続くのでちと我慢しましょ。

ほんじゃに!

2018年6月11日月曜日

地方移住ブンガクと『坊つちやん』の可能性 ~真面目ぶる企画Vol.3(仮)~

たまにはそれぶってみる

どもども、たっちーです。

何でしたか、得意科目。
少なくとも履歴書上では、大学で「文芸・ジャーナリズム」、大学院で「日本語教育」を専攻したことになっているためか、”日本語のプロ”なんて言われてしまう機会がしばしばあります。
が。

とととととと

とんでもなさすぎて! 鼻水でる!

お前本当は修了してないだろう、と今から取り消されてもおかしくないほどの知識量・学習量ですから、恐れ多いにもほどがあり……どうして当時もっと真剣に勉強しなかったのかしらん、なんて悲しくなってしまうのが実情です。

日本文学を語るのもおこがましいレベルなわけですが、最近個人的に「移住相談員ぶってそれらしいことを綴るフェア」を開催中、今回はひとつ移住×ブンガク的なことでも述べてみんとぞ思ふ。

では「移住」や「田舎暮らし」が若い世代にも一般的になりつつある昨今、”地方移住”×”日本文学”で思い浮かぶ作品といいますと?

なお「地方 移住 小説」でググっても、これというものはサクッとでてこない模様ですが……

こちらは太平洋


私は圧倒的に、『坊つちやん』を推したい。

日本で義務教育を受けた人は誰もが一度は読まされたであろう漱石先生の代表作ですが、なんかもうあれですよ、田舎暮らしってどんなんやろーと思っている人にとって必読の書といっても過言ではないかと。
(もっともそう感じたのは、実際に自分が地方に来てまもなく2年という今、たまたま再読したからなのですが)

義理人情、喧嘩、男女のスキャンダル、パワハラ、職場や地域の人間関係のゴタゴタ、……等々、「田舎暮らしのリアル」を伝える要素がとにかく凝縮された短編なのです。

東京の物理学校を卒業したばかり、「親譲りの無鉄砲」の坊ちゃんが数学教師として縁あって赴任したのは、愛媛県松山市。

高知の郡部に住む今の私から見れば、四国の中では高松と同規模の”お街”です。

が、東京以外には鎌倉しか行ったことがないという生粋の江戸っ子には、同地に足を踏み入れるなり「野蛮な所だ」と感じられ、「こんな田舎に居るのは堕落しに来ているようなもの」とまで言われてしまう。
(松山を訪れたことのある方はご存知の通り、街のそこかしこに「坊っちゃん」の文字があるぐらい作品にちなんだPRが盛んなれど、ここまで地元をズタボロに評する小説をよく町おこしに使えるなぁと思うほど作中での扱いは散々。)

瀬戸内が舞台です

当時と今の松山の”田舎度”そのもの正しさはさておき、都会育ちの人が地方で目の当たりにする出来事や、場面場面で抱く想い、考えの描写が実に巧みであり、「田舎あるある」が詰まっているのです。
(ネガティブなこともポジティブなことも両方映し出されていますが、松山をとかく軽蔑の対象として捉える人物のひとり語りゆえ、必然的に前者の割合が多くなりますね。)

主人公は竹を割ったような、を通り越したやや極端な性格の持ち主ではあるものの、だからこそ移住者が経験しやすい(であろう)感情の機微が読み手に分かりやすい形で描かれている気がします。

何かにつけて「東京では……」と比較してしまうところなんか、その最もたる例でしょう。
加えて、家族連れだったり並々の覚悟を持って来ていたりする一部の移住者の非難を覚悟して言えば、「いざとなれば辞めて帰ってやらぁ!」という身軽な、かつある種の無責任なスタンスの描き方も絶妙だと思うのです。

もっとも、物語のエピソードとして際立つように強調が過ぎるところもしばしばあれど、実際に地方に移り住んだ人は「あったなーこんなこと!」と思う部分がどこかしら見つかり、これから田舎暮らしを考える人にとっても参考になる部分が大いにあるはず。

何度でも会える

著者が28歳の頃、松山で中学教師として務めた経験が材料の一部になったと言われるだけあるなぁ、にしてもわずか1年ほどのことなのに、と漱石先生の圧倒的な観察力と筆力に敬服せざるを得ません。
(私なんか2年間かけてしょうもないイタズラ書きしかできんかったのに……まぁお札に描かれる作家と比べるのが間違っているけれど)

そんなこんなで(?)、”田園回帰”といったワードが市民権を得つつあるこのご時世、今後は”移住ブンガク”がひとつのジャンルとして発展していくのではと勝手に期待していたりします。
既に田舎・地方を舞台にした作品は数多くありますし、また先の朝ドラ『ひよっこ』のような上京モノ、すなわち地方から都会への進出を描いた物語は沢山あったわけですが、これからは都会→地方への動きに注目した作品も増えるのでは、と。

遡れば紀貫之の「土佐日記」はその先駆的なものといえるだろうし、古典や名作といわれるような古い作品も”地方移住”という切り口で新たな解釈が生まれるかもしれないな、とかとか。

さて余談ですが、文学との出会いというのは実に不思議なもので、同じ作品であっても「いつ読むか」で感じ取るものや面白さ、もたらされる意味合いが大きく変化するものが多いですね。

吾輩も猫


私にとっての『坊つちやん』はその典型で、最初に読んだ、否、恐らく読まされたのは確か中学生の頃でしたが、当時は漱石先生はおろか近代文学にあまり興味がなく、これといって良さは分かりませんでした。
むしろ、ネガティブにもポジティブにもあまり印象に残らなかった、といったところ。

新しい見方、新しいセカイ

そんな彼と再会を果たしたのは、某W大学の文学部(もどき)に入学した後、と大変に遅い(この程度のブンガク度合いの人間でも入れる文学専攻もいかがなものか)。

たまたま知り合った文芸専攻の先輩から「先生が面白いよ」とおススメされて潜り込んだ講義で、たまたま主題として取り上げられていた本作、ここで展開されていた読み解き方が実に、実に興味深かったので再読せずにはいられなくなったわけです。

ざっくりといえば、作品を通して姓名が明かされない主人公を、”坊つちやん”と呼んだ(恐らく唯一の)人である下女・清と主人公の二人に男女の関係を見出すというもの。

(初見の記憶が薄かったにしても)「そんな読み方ができるの!? 超オモチロイではないか!!!!」

と衝撃を受けましたよ、当時。

坊つちやんも釣りしてたな

言われてみると彼は、事あるごとに清は、清はと述べ、彼女からの手紙を待ちわび、松山の職を辞した後も再び東京で彼女と暮らすことを選び、また死後は坊つちやんの代々の墓に葬っている。

二十歳過ぎの青年と老女の間に感じとれるのは……

純愛か、はたまた官能の香りか。

当時の自分は後者として捉えたかな?

そして再び時が過ぎ、今になってもう一度出会えば、今度は主人公の”移住者”としての側面に自然と注目する私がいる。
だって、移住者だから(恋愛をしていないせいもあるか……)。

漱石先生が見て、聞いて、感じて、書いたことが、100年以上を経た今でもきっと色褪せていないと実感します。
であれば、地方への移住者を取り巻く状況も、また移住者たる人間も、本質的には変わっていないのかもしれません。

「田舎暮らしの資料」として貴方も一冊、手に取ってみては如何。

ほんじゃに。

2018年6月8日金曜日

しばいたろか、茶ぐらい

OH, マッチャ

撫でてますか、毛玉。
とかくモフモフしたもの、小さきもの、何やら動きに愛嬌のあるものには心を奪われやすいたち、もしそばにいたら見て、触れたいという欲求に駆られます。
もっとも小動物の類ならば(噛みつかれたり引っ掻かれたりするリスクをふまえつつ)、それらしい声を出しながら手を伸ばせば良い、けれど相手が人間となると話はややこしい。
赤ちゃんだったら親御さんの許可なしにタッチしたら問題になる可能性大ですし、大人であれば当然本人の同意が必要だってんで、よしよしと撫でたい衝動はいずれにしても一旦抑えねばならんねと。

愛でるといえば。

まだ”愛”の域にまでは達していないけれど、近頃、否、もはや今更”気になる”対象が……



「茶」でんねん。 アクセントはもちろんパーデンネン。

その健康効果も相まって海外でも大人気のMATCHA、イマドキは小さい子が「アイスは抹茶!」なんて指名するのも珍しくないほど市民権をどもが好んで選ぶような味ではなかった気がするけれど、やはり時代の変化かしらん。)

ちょっと雰囲気のある甘味処やオサレカフェはもちろんのこと、市販のお菓子でも抹茶味の商品が当たり前に出回るようになって久しいですから、単に我々の舌が慣れたのかもしれません。

ともあれ、さすがにひとつの「道」になるだけあって、茶の湯の世界というのは実に奥深いものですね。

お作法に道具、掛け軸にお花に着物に、それらにまつわる古文漢文歴史だとか……深いだけでなく関わる分野がとにかく幅広いときた、おっとろしいほどに必要とされるは教養であります。

しかしただ恐れているのもオモチロくない、大和の国に生まれましたからには、ちっとばかし学んでみてもえーじゃないかえーじゃないか。

てんでこの頃ちょろちょろ調べていたりしますが、別に免許皆伝を目指す訳でもないので気軽に楽しんでおります。



単にスイーツとして味わう分には小むつかしいこと、ややこしいウンチクなんてのは不要ですしね。

窪川の古民家カフェ・半平では、今月から「はんぺい 抹茶づくし」と称した魅惑的なデザートフェアを開催中だそうです。
じめじめムシムシしてきたところ、抹茶ごおりや抹茶スムージーなど涼しげなメニウがずらり、アウトドアのチャンスが減る梅雨だからこそ屋内でまったり甘味なぞ如何。

7月1日までの期間限定とのこと、見逃さずにGO。

ほんじゃ。

2018年6月7日木曜日

計画的無計画な人生のはなし

なぜそこに暮らすのか

どもども、たっちです。
見据えてますか、未来。
日々移住相談を受けておりますと、「ゆくゆくは……として働くために」「将来的に○○になりたいと」など、様々な年齢層の方が描く”ミライ”の話をすることになります。
計画的な(特にお子さんをお持ちの)方ですと「来年に××の資格を取り、3年後には独立、5年後には○○万円の売り上げを立てます」のように、とても具体的なライフプランを立てておられます。

はぁ、すごいですねぇ、と心の中で何度も呟かざるを得ないのは、単に私が中長期的な計画を練るのを苦手するからなのでしょうか、現代日本を生きるどれほどの人に斯様に綿密なライフプランがあるのかとも気になりつつ。
いずれにしても、いわゆる”移住”を納得ゆくものにできる人の多くは、計画性をきちんと意識しているのではないかしら。

懐かし看板(中土佐町・久礼)

そういった点で(も)、私は”移住者”として「成功した/しうる」とは言い難く、また”定住者”になる可能性にしたって現状はほぼゼロですから、”地域おこし協力隊”としても「失敗した/しつつある」人間なのですよね。
(半ば計画的なまでに無計画型なワタクシとはいえ、やはり協力隊の後はどうするのん、という自問自答は着任当初からずっとありましたが。)

むろん任期後に定住しなかった協力隊のすべてを「失敗」と括るべきではなくて、「成功/失敗」で二元的に評価すること自体ナンセンスともいえるけれど、そもそも協力隊という制度は「移住のソフトランディングプログラム」であり、地方への移住定住のハードルを低くする目的でつくられたもの(だと認識しているの)です。
自治体目線では、任期中に何をしたか、はもちろん大切ですが、結果的にその土地に残れたか、が実績として積み上げられ評価されるのが現実。

ほいで四万十町の隊員/卒業生に限らず、他の自治体の(元)協力隊の話を聞く限り、「この人やるなぁ」と思う人の多くはしっかりと未来を見据えて行動をしておられます。
(地域に入らない限りは見えてこないことは少なくないので、着任前に描いた計画自体は活動を通して変更を余儀なくさせられるはずですが)



パンぜんざいってナニ?

色々な意味で、残された四万十町での時間がわずかになっている身としては、自分にできる恩返しとは何ぞや、と毎日考えざるを得ません。

確かに、ここでもらったものについては、必ずしもここでしか返せないわけではありません。
が、そうだとしても、あるいはそうであるからこそ、何ができるのでしょうかとね。

悶々DAYS。

こんな自分の現状を通じて、リスクを背負って身一つで移住する場合と、協力隊という制度を利用して移住する場合との違いについて、田舎暮らしを考える方にちょっとでもお伝えできれば良いものですが。

ほんじゃに。


2018年6月4日月曜日

ひょっと住んでみんかよ

現実と妄想のあひだ

ども、たっちーです。

どこにしますか、移住先。
地域おこし協力隊として「移住・定住促進」というお役目を預かっているので、かつての自分のように都市部に住みながら地方移住を考えておられる方としばしばお話しします。
皆さん気になるところはやはり「住まい」と「食い扶持(仕事)」ですが、後者に関しては一定のパターンがある、というか大体これ。
①農業(あるいは自然環境を活かしたレジャー・観光など)をしたい、明確な気持ちがありまして。
②お店やりたいんですよね。
③てか、仕事ってあります?
(④○○士やデザイナーのような特定の資格・スキルを持っている、なんて場合もありますが、そうした方はご自分から相談されたりはしませんね)

①の方には、いきなり新規就農で食べていくのは非現実的ですし、県の研修施設に通ったり、農業法人に努めたりして修行しては如何などと勧めます。
いわゆる半農半X的なやつですね。

らったった

②については、創業の補助金とかもありますし、移住者で開業されている方おられますよーとご紹介したり。
(ただし住宅同様、物件探しは少々難儀するかもともお伝えします。)

ほんで③に関しては、「選ばなければあります」とお答えします。

まぁ、そりゃそうですよねえ。

都会では、飲食・サービス業を中心にどこもかしこも人手不足、求人倍率がえらいことに……なんて話題がよくのぼりますが、まぁ地方でも似たようなものです。
当然、人口に比例して飲食店・小売店も少ないのでレベル感は違えど、「スタッフ募集」の貼り紙はよく見かけますし、あとは医療・介護・建設・農業およびその関連(仕分けとか)はずっと求人が出ています。
これは我が町に限らずどこの地方でも概ね共通でしょう。
(もっとも四万十町は県内でも農業・畜産業が盛んな地域なので、一次産業の求人数は多いほうなのかと思います。)

にょきにょきにょっき

いずれにしても、当たり前ですが都市部と同じような職種と待遇を期待されては困るわけです。

最近は、企業での勤務経験・スキルを生かして地方創生に取り組むポジションを構える自治体もあることですし、事務系で安定した収入を希望する方は公務員試験を受けるとかもアリかもしれませんが。
(かくいう私だって、地域おこし協力隊=役場の嘱託職員、という身分(かつ独り身)だからこそ相当好き勝手できているわけで)

要は(あちこちで言われてはいるものの)、「田舎暮らし」を理想化するあまり、あれやこれやと希望の条件ばかり並べていたらやっていけまへんよって話ですな。

目標と志を持つことと、理想におぼれることは紙一重というか、裏表というか……

で、自分はどうなんだって話ですね。

ほんじゃ。


2018年6月1日金曜日

ないの、情けが

どうしようもないひと

どうも、たっちーです。

どーなってるんですか、この島は。
以前にも書いた問いかけかもしれませんが、記憶があいまいなので初出のようにしておきます。
どーなっているのかが気になるのは、我が頭とメンタルでございます。
てのも、最近はありがたい事に様々な分野の方々とお仕事をさせていただく機会が増えたのですが、私は圧倒的に要領が悪い、こりゃマルチタスクに向いていないと痛感したからです。

ぐりーん

いわゆる田舎、で生き延びるにあたって、「マルチタスクがこなせるか」は非常に重要なポイントだと思っています。
兼業農家の方が多いこともありますが、職業の面に限った話ではなく、例えばお子さんの学校の役員や習い事のスタッフだったり、常会(自治会)の活動や○○協議会の委員だったり……と、地域の方々は実に多くの役割・肩書きを持っておられます。
役場の職員さんらを見ていても、休日返上でイベントのお手伝いをしている方は多い。

一方で私は、単に仕事のことだけでも、数が増えればそれぞれのクオリティが確実に落ち、抜け漏れドジが悲しいほどに頻発します。
しかも、自分の実力をちゃんと把握した上で仕事を受ければ良いのに、依頼されると「できそうな気がしなくもない」なんて妙に気が大きくなってしまうもんだから……のちのち、失敗してへこむのです。

母になる予定はないけれど、世の親御さんたちは「子育て」というマルチタスクの典型をこなしておられる訳で(これは地方も都会も一緒ですね)、心から尊敬します。

さぁ、私はどこまで・いつまでここで生き延びられるのでしょう。

てんで、特にオチもなくほんじゃーに。