2018年6月7日木曜日

計画的無計画な人生のはなし

なぜそこに暮らすのか

どもども、たっちです。
見据えてますか、未来。
日々移住相談を受けておりますと、「ゆくゆくは……として働くために」「将来的に○○になりたいと」など、様々な年齢層の方が描く”ミライ”の話をすることになります。
計画的な(特にお子さんをお持ちの)方ですと「来年に××の資格を取り、3年後には独立、5年後には○○万円の売り上げを立てます」のように、とても具体的なライフプランを立てておられます。

はぁ、すごいですねぇ、と心の中で何度も呟かざるを得ないのは、単に私が中長期的な計画を練るのを苦手するからなのでしょうか、現代日本を生きるどれほどの人に斯様に綿密なライフプランがあるのかとも気になりつつ。
いずれにしても、いわゆる”移住”を納得ゆくものにできる人の多くは、計画性をきちんと意識しているのではないかしら。

懐かし看板(中土佐町・久礼)

そういった点で(も)、私は”移住者”として「成功した/しうる」とは言い難く、また”定住者”になる可能性にしたって現状はほぼゼロですから、”地域おこし協力隊”としても「失敗した/しつつある」人間なのですよね。
(半ば計画的なまでに無計画型なワタクシとはいえ、やはり協力隊の後はどうするのん、という自問自答は着任当初からずっとありましたが。)

むろん任期後に定住しなかった協力隊のすべてを「失敗」と括るべきではなくて、「成功/失敗」で二元的に評価すること自体ナンセンスともいえるけれど、そもそも協力隊という制度は「移住のソフトランディングプログラム」であり、地方への移住定住のハードルを低くする目的でつくられたもの(だと認識しているの)です。
自治体目線では、任期中に何をしたか、はもちろん大切ですが、結果的にその土地に残れたか、が実績として積み上げられ評価されるのが現実。

ほいで四万十町の隊員/卒業生に限らず、他の自治体の(元)協力隊の話を聞く限り、「この人やるなぁ」と思う人の多くはしっかりと未来を見据えて行動をしておられます。
(地域に入らない限りは見えてこないことは少なくないので、着任前に描いた計画自体は活動を通して変更を余儀なくさせられるはずですが)



パンぜんざいってナニ?

色々な意味で、残された四万十町での時間がわずかになっている身としては、自分にできる恩返しとは何ぞや、と毎日考えざるを得ません。

確かに、ここでもらったものについては、必ずしもここでしか返せないわけではありません。
が、そうだとしても、あるいはそうであるからこそ、何ができるのでしょうかとね。

悶々DAYS。

こんな自分の現状を通じて、リスクを背負って身一つで移住する場合と、協力隊という制度を利用して移住する場合との違いについて、田舎暮らしを考える方にちょっとでもお伝えできれば良いものですが。

ほんじゃに。


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