こんばんは、たっちーです。
定番ですか、ペヤング。
かつて我が家では、カップ焼きそばと言えば白い長方形のパッケージのこれでしたが、徐々に選択肢として日清UFOが加わりました。
かと思えば、夜店の一平ちゃんが新規参入するや否や、マヨネーズのお得感から一気にトップへ踊り出し、ペヤングは圏外へ。
いずれにしても最近食べてないな、カップ麺。
いつも通りの時間に大正地域振興局へ向かったものの、心理状態は平時とは大きく異なります。
どうしてかって?
大正の魔境・下津井へのドライブに挑戦するからであります。
というのも、集落へ行くのに避けて通れないROUTE439は細くクネクネとした一車線、しかも大型トラックとすれ違うことも多く酷道と名高い。
ゆえに、これまで下津井に行く際はいつも誰かに積んでいってもらっていました。
しかしいつまでもそれじゃあかん、という訳で、先輩隊員の軽トラにそろそろとついてゆく形で協力隊号(箱バンくん)のアクセルを踏みます。
途中、対向車が来るたびに顔を青くしたものの、どうにかトラブルなく目的地・仁井田神社へ到着です。
待ち受けていたのは、黒い頭に赤い巨体の こちらの方です。
牛鬼。
というと愛媛・宇和島のものが有名ですが、高知県を含めた西日本各地にも伝承があり、伊予の文化の影響が色濃い 旧幡多郡・下津井にはそのお祭りが残っています。
集落の御宅をひとつひとつまわり、厄払いを果たした牛鬼は家主のお接待を受けます。
ガゴゴッと頭を動かしては小さな子供を脅かす様子は、秋田のなまはげを彷彿とさせますね。
家と家の間をゆっくり練り歩いていたかと思えば、突如駆け出して畑や田んぼ、急な斜面を突っ切っていく姿は、まさに闘牛の如し。
しかしこいつ、一見すると頭+布製の体ゆえに「獅子舞みたいなもんじゃない?」と思うのですが、10人ほどの大の男が担いでもヒイヒイいう重さなのです。
私も少し潜り込ませていただいたものの、ほぼ戦力にならず、担ぎ手はもっぱら20〜40代を中心とする男性です。
大正の街中よりも冷え込んだ下津井にも関わらず、「中の人」たちはすっかり汗だくに。
ゆえに各家からは、牛鬼だけでなく彼らにも手厚いおもてなしがあるのです。
松茸のおにぎり、サンドイッチなどお腹にたまるものから、おでんやうどんなど冬に嬉しいもの、唐揚げや芋天、スルメなど塩気のあるおつまみ系まで、各家の趣向が凝らされます。
でもこれは、あくまで「おつまみ」であって、接待のメインはお酒です。
午前中のうちに 集落内を回りきらなくてはならないため、「飲みや〜飲みや〜!」と家主がビールや日本酒を注ぐグラスは手早く渇かすのが基本。
そして食べ、走り、また呑んで、走り・・・を繰り返すのですから、朝から顔を真っ赤にした担ぎ手の一部の足取りはフラフラ。
この日、取材や見物客がカメラ片手に鬼のお尻を追いかけていましたが、私含めて担ぎ手以外の人々へもご馳走をふるまっていただき、恐縮です。
定番ですか、ペヤング。
かつて我が家では、カップ焼きそばと言えば白い長方形のパッケージのこれでしたが、徐々に選択肢として日清UFOが加わりました。
かと思えば、夜店の一平ちゃんが新規参入するや否や、マヨネーズのお得感から一気にトップへ踊り出し、ペヤングは圏外へ。
いずれにしても最近食べてないな、カップ麺。
とにかく緊張感の
快晴ながら、今朝も冷やい四万十の朝。いつも通りの時間に大正地域振興局へ向かったものの、心理状態は平時とは大きく異なります。
どうしてかって?
れっつらご |
大正の魔境・下津井へのドライブに挑戦するからであります。
というのも、集落へ行くのに避けて通れないROUTE439は細くクネクネとした一車線、しかも大型トラックとすれ違うことも多く酷道と名高い。
ゆえに、これまで下津井に行く際はいつも誰かに積んでいってもらっていました。
しかしいつまでもそれじゃあかん、という訳で、先輩隊員の軽トラにそろそろとついてゆく形で協力隊号(箱バンくん)のアクセルを踏みます。
とうちゃーく |
途中、対向車が来るたびに顔を青くしたものの、どうにかトラブルなく目的地・仁井田神社へ到着です。
待ち受けていたのは、黒い頭に赤い巨体の こちらの方です。
初めてお目にかかります |
牛鬼。
というと愛媛・宇和島のものが有名ですが、高知県を含めた西日本各地にも伝承があり、伊予の文化の影響が色濃い 旧幡多郡・下津井にはそのお祭りが残っています。
名所・めがね橋を渡る |
集落の御宅をひとつひとつまわり、厄払いを果たした牛鬼は家主のお接待を受けます。
お祈り |
ガゴゴッと頭を動かしては小さな子供を脅かす様子は、秋田のなまはげを彷彿とさせますね。
斜面も畑も |
家と家の間をゆっくり練り歩いていたかと思えば、突如駆け出して畑や田んぼ、急な斜面を突っ切っていく姿は、まさに闘牛の如し。
しかしこいつ、一見すると頭+布製の体ゆえに「獅子舞みたいなもんじゃない?」と思うのですが、10人ほどの大の男が担いでもヒイヒイいう重さなのです。
おっとっと |
私も少し潜り込ませていただいたものの、ほぼ戦力にならず、担ぎ手はもっぱら20〜40代を中心とする男性です。
大正の街中よりも冷え込んだ下津井にも関わらず、「中の人」たちはすっかり汗だくに。
ゆえに各家からは、牛鬼だけでなく彼らにも手厚いおもてなしがあるのです。
つまみやすい工夫も |
松茸のおにぎり、サンドイッチなどお腹にたまるものから、おでんやうどんなど冬に嬉しいもの、唐揚げや芋天、スルメなど塩気のあるおつまみ系まで、各家の趣向が凝らされます。
でもこれは、あくまで「おつまみ」であって、接待のメインはお酒です。
午前中のうちに 集落内を回りきらなくてはならないため、「飲みや〜飲みや〜!」と家主がビールや日本酒を注ぐグラスは手早く渇かすのが基本。
見物客も一緒にごちそうに |
そして食べ、走り、また呑んで、走り・・・を繰り返すのですから、朝から顔を真っ赤にした担ぎ手の一部の足取りはフラフラ。
この日、取材や見物客がカメラ片手に鬼のお尻を追いかけていましたが、私含めて担ぎ手以外の人々へもご馳走をふるまっていただき、恐縮です。
さあ、花を取りましょう
ベロベロになった牛鬼が神社へ戻り、午後は境内から恭しく御神輿が担ぎ出されます。
子どもたちも加わって |
撮ったつもりが本体は写っていない・・・さすが私。
ともあれ、皆で御神輿について数百メートル先の住吉神社(跡)へと向かいます。
ぞろぞろいくべ |
稲を刈って間もない畦道を、法被や踊りの衣装を身にまとった人々が列をなして歩く姿は本当に絵になります。
祓いたまえ、清めたまえ |
神事を済ませて再び仁井田神社へ戻ると、始まったは集落にゆかりのある成人や子どもたちによる花取り踊りです。
さあ、輪になって |
高岡・幡多地方に中世から伝わるとされるこの踊りは、神社・地域によって舞い方から隊列、使用する道具、時間までもが異なるといいます。
大正の中でも、中津川の場合は円陣ではなく直線に並び、時間は下津井より短いながら激しい動きが多いとのこと。
ぶれてるけど |
子どもたちが太鼓のリズム合わせてくるくると舞い、中学生以上の踊り子たちが真剣の太刀を振って、道具の両端に付いた紙の束(適当な表現ではないけれど)を落としてゆく。
と、シャッターを切りまくる多数の見物客たちの中に、かつて見たことのあるような後ろ姿を見かけます。
その後定番の餅投げ、そして宴 |
驚いたことに、大学1年生のクラス演習で担任だった、准教授でした。
踊りを中心とする伝統芸能を専門とする研究者で、花取りの取材にいらしたとのことですが、お互いまさか東京から遠く離れたこんな所で出くわすとは思いもしません。
相変わらず、全国を駆け回っておられるらしく、お元気そうで何よりです。
肉厚! |
そういえばしばらく前、「早稲田の方から、下津井の祭りのことで問い合わせが・・・」という電話の取り次ぎの声を聞いた記憶がありましたが、人の縁とは不思議なものです。
手作りこんにゃくも美味美味 |
うまうまなご馳走をこじゃんといただいていたら、あっとういう間にあたりは薄暗くなり、さあ問題は帰りの運転です。
先輩隊員二人は担ぎ手として朝からアルコホル漬けですから、ハンドルを握るのはもちろん私しかいないってんで。
お汁にもマッタケが! |
暗闇の山道で、先輩+その妻子・計5名の命を預かるとなると朝以上に心臓は破裂直前。
しかしカーブの急ハンドルで荷物の一部が車内に転げ回ったことと、振興局での車庫入れを除けばどうにか無事に大正へ帰還を果たしました。
ていうか、車庫入れが仮免以下のレベルで5分くらいかかるとか、hahaha, 成長しないわあ。
そしてネタはつづく
その後、窪川へ帰宅・・・してたちまち、高速道路へ。
なんのためって?
かーりー |
須崎のインド料理レストランへ行くためであります。
まだ食うのかよ! って、今宵の主眼は好物のナンではないのです。
果たしてその真の目的とは。
詳細はまた明日、といえど勿体振るわけではなく、夜まで【うそうそした】せいで単にお眠なのであります。
てんで、本日の高知ことば【うそうそする】は【うろうろする】の意味で使われる動詞です。
例)最近、駅前にガラの悪い奴らが【うそうそしよる】き、気つけや。
場所がわからない というよりも、何か心算があって辺りをうろつくイメージの幡多弁だそうです。
ほんじゃーに。
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