2017年3月29日水曜日

【うそんこ】だよん

*本日、生きた証*
 終日:引き続き、死んだようなもの

すきすきすきすき、すき、すき!

どもども、たっちーです。

ベッドですか、寝床。
生まれてから小学校に入るまでの住処はいわゆる狭小住宅で、あんなところにどうして5人も暮らせたかは未だに不思議なくらいです。
居間は父・母と私の寝室を兼ねていたので、必然的に布団での寝起き、漫画やアニメに出てくるベッドは「自分の部屋」と並び憧れの対象でした。
が、 どちらもいざ手に入ってみれば新鮮なのは束の間で、いつしか当たり前のものとなり、ヒトは贅沢な生き物だなと思います。

当たり前といえば。

ブログを書き始めた昨夏以降、毎日毎日「午前は◯◯へ行き、午後は××をして、夜は△△と打ち合わせ」と行った場所やしたことを書き連ねる行為は、ある種「やって当たり前」と捉えていました。
しかし必ずしも、「何かやった」からといって「書ける」とも限らないし、「書けない」からといって実際に「何もしなかった」とも言い切れないでしょうから、私がいかに「書けない=何もやっていない=クズ」の枠に囚われているかが分かります。

例えばこんな世界もある

どれが正解という訳でもないけれど、日々の行動を目に見える形で残せなければ生きた心地がしないなんて、なんとも息苦しい考え方かもしれません。
あるいは、貧乏くさいというか。

けれど私の場合、数ヶ月に一度くらいのペースでガッと体調を崩して活動停止、自己管理の悪さに毎度懲りることなく落ち込むのです。
(社会人に必須の能力の欠如は確かに大きな問題ですが、)体力・気力の両面で普段ジタバタ動いている分の帳尻合わせといえば頷けます。

無論、他の人に比べて多忙では決してないことを思うと、持ち合わせに見合わぬ欲張りぶりを発揮しているだけなのでしょう。

なんにせよ、慌てない、慌てない。
一休さんの名言を反芻する昼下がりであります。

徒歩、ほ

気力と体力が十分でない、ならば、行きたい場所・やりたいこともセーブしていくしかありません。

放ったらかしにしていた銀行の手続きとか、切れかかっていた洗剤の補充とか、歩いて移動できる範囲に体をおさめてやるべき事をこなします。

でも、楽しいことも一つくらいは取り入れないと。
てんで、寄り道です。

なつかしさ満点

窪川で長く愛される、THE☆まちのパン屋さん「田辺ベーカリー」さん。
この佇まい……吸い寄せられずにいられませうか、と店の中へ。

暗めの店内にペンダントライト、ショーケースに商品名と値段だけがマジックで記されたPOP。

棚に並ぶのも、三食パンにピーナッツコッペ、クリームパンと昔ながらの定番商品。

あれこれ悩んだ末、6枚切りにしてもらった山形食パンと、北海道牛乳クリームと書かれた小ぶりのパンを手に、ホクホクした気持ちでお店を後にします。

あぁ、知っている、この感じ。

そうだ。

あんていかん

それこそ、小学校に入るまで住んでいた家から徒歩10分ほどの商店街に、しばしば母と訪れていたパン屋さんがあった。
ここよりもっと小さく、スタンドに毛の生えた程度の狭い店内に、ラップにぴっちりと包まれたサンドイッチやハンバーガー、菓子パンがずらりと並ぶ。

子どもがひとつ食べ切るのにちょうど良いサイズと値段で、自分たち以外にもたくさんの親子連れで賑わっていた。

別の町へ移ってからも、あそこの「あんドーナツ」の、揚げパンからじゅわっと出る油と、こしあんの優しい甘さが忘れられず、近くを通る機会には立ち寄った。

当時「おじいちゃん」「おばあちゃん」に見えていた店主ご夫婦は、もしかしたらそれほどの年をとっていなかったかもしれないけれど、今頃どうしておられるだろうか。
あれから、さらに遠い所へ引っ越して、いつしか行かなくなってしまったけれど。

私にとっては、そんな記憶を呼び覚ますひとつの装置になった「田辺ベーカリー」も、多くの窪川っ子にとって懐かしく思い起こされる対象なのだろうなあ。

ちなみに先のパン屋があるのは川崎ですが、住んでいた期間は横浜より短かかったので「横浜出身」といっても【うそんこ】ではないでしょう?

てんで、本日は郷愁の(?)神奈川ことば、【うそんこ】は単純に【うそ】という意味で使われます。
 例)お前、ピカチュウ飼ってるって言ったのに、いねえじゃん! 【うそんこ】つくなよ!

ほんじゃーに。

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