*本日生きた証*
さて贅沢といえば今月20日、窪川の古民家カフェ・半平では500円でヴァイオリンとチェロの生演奏が聞けるのだとか。
我が町には、「耳すま」の天沢くんさながらイタリアで修行を積んだ、若手のヴァイオリン職人さんがおられることもあり、音楽イベントは本格的なものが多い印象。
当日は道の駅でチェロの定期コンサートをやっておられる、越知町の協力隊員の方がゲストで来られるそうで、こりゃ必聴ですな。
今日は比較的真面目なことばかり書いている気がする。
いかん、この調子では明日、季節外れの台風が来るやもしれん。
ということで(どういうことか)、先日仕入れたアイスくりいむでも食らいまひょか。
「高知県」「土佐」「塩」の文字面に惹かれ、よく説明を読まず「塩バニラ」的なやつかと思い込んでいました。
ブルーシールアイスの中身だったら分からんでもないが、これは予想外の青さ。
そして、まるでバニラ感はない。 微かにミルク感があるのみ。
改めて蓋を見てみると、どこにも「バニラ」の文字はなく、詐欺でも何でもないわけです。
まぁ、これはこれで美味しくペロリと食べてしまったのですが、私のアイス「クリーム」欲は【なんぼし】消化不良だったとさ。
てんで、本日の高知ことば【なんぼし】は、打ち消しの語とセットで【ほとんど】(〜ない)の意味で使われます。
例)あこのラーメン屋、いつみても【なんぼし】客がおらんで。
ほんじゃーに。
AM:窪川高校にて未来編集会議打ち合わせ
PM:窪川協力隊事務所にて報告書作成
夜:谷干城ミュージカル練習参加
ばっく・とぅ・ざ
どもども、たっちーです。
忘れられませんか、過去の人。
「恋人」や「女性」、あるいは「男性」の漢字に「ヒト」というルビを振るとたちまち色恋の雰囲気が漂ってくるけれど、自分には無縁のお話です。
何せ自分でも呆れるほど、良いことも悪いことも大抵あっという間に忘れてしまう鳥頭の私は、周りの方が気にしてくれて「そうだっけ」と思い出す始末。
特に中学や高校時代は、誰と一緒にいて、何をしていたかというのがほとんどごっそり抜け落ちているのですが、面白くなかったから脳みそが勝手に記憶を削除したとしか思えません。
まあいずれにせよ、基本的に過ぎたことはどうでも良くなるたちなのですが、もちろん忘れ難い記憶ともいくつかはあります。
高知にまつわるものとしては、例えばこの「四万十川海苔のパスタ」。
きれいに撮れてないだけ |
ここでも何回か取り上げた、市内でお世話になっている居酒屋「ゆるり」のメニューの中でトップクラスに好きな一品で、口に含むとぷわんと広がる海苔の香りがたまりません。
で、これは私が5年半ほど前に初めて高知へ足を踏み入れた際、たまたま立ち寄ったこのお店で、最後に出してもらった「オススメ」の一品として鮮明に覚えているもの。
料理の味そのものが好みだったのは、確かです。
だからといって、ものすごく強烈な個性があるとか、高級食材を使っているものではなく、正直、ここでしか食べられないというわけでもない。
恐らく、南国風の内装に、店名の通りゆるりと流れていく時間、そして接客してくれた全ての店員さんの温かさが、絶妙なバランスをもってして最高の居心地の良さを生み出したのでしょう。
誕生日にスタッフさんから いただいたよ |
再び高知を訪れるまでの約5年間、「また行きたい」と思い続けたのは「高知」であり、しかしそれ以上に「ゆるり」でもあって、もう一度あそこであのパスタを食べる自分の姿を度々思い描いていたから不思議。
市内にひしめく数々の居酒屋の中から、ここを選んだのは偶然。
はりまや橋付近の大通りから一本裏手に入った角地に佇む小さな店は、一人旅のヨソ者を吸い寄せる何かがあったのでしょう。
「忘れられない味」は、料理 ×「何か」で形成されるものなんですね。
なんて、「孤独のグルメ」風に(ちゃんと観たことないけど)ちょっと感慨にふけってみたりします。
音の思ひ出
「味覚」と同じくらい、ひとつの出来事を記憶に刻み込む重要なカギとなるものとして、ほかに「聴覚」が挙げられる気がします。
これも高知に絡めるならば、同じく初めて来高した5年前、「『お~い!竜馬』に月の名所と書いてあったから」と単純な理由でひとり、バスに乗って向かった桂浜を思い出します。
それまでの自分にとって、海といえば泳いだり、磯を探検したりと、とにかく主体的に「遊ぶ」場所。
ただでさえ、何もせずにいるのは苦手な自分が、海岸でぼーっと波の音に耳を傾けているとあっという間に日が暮れてしまうなんて、考えてもみませんでした。
ただでさえ、何もせずにいるのは苦手な自分が、海岸でぼーっと波の音に耳を傾けているとあっという間に日が暮れてしまうなんて、考えてもみませんでした。
しかも幸運なことに、この夜は満月。
日が沈み切り、黒い海との境目が曖昧になった夜空にぽっかり、浮かんだ明かりの丸さは完璧でした。
人の気配が無く、動物も虫も泣かず、打ち寄せる波の音だけを耳に入れていると、気付けばもう終バスの時刻になっています。
浜を独り占めしたかのような贅沢な感覚は、純粋な海の音以外余計なものがなかったからかしらん。
日が沈み切り、黒い海との境目が曖昧になった夜空にぽっかり、浮かんだ明かりの丸さは完璧でした。
人の気配が無く、動物も虫も泣かず、打ち寄せる波の音だけを耳に入れていると、気付けばもう終バスの時刻になっています。
浜を独り占めしたかのような贅沢な感覚は、純粋な海の音以外余計なものがなかったからかしらん。
もう春 |
さて贅沢といえば今月20日、窪川の古民家カフェ・半平では500円でヴァイオリンとチェロの生演奏が聞けるのだとか。
我が町には、「耳すま」の天沢くんさながらイタリアで修行を積んだ、若手のヴァイオリン職人さんがおられることもあり、音楽イベントは本格的なものが多い印象。
当日は道の駅でチェロの定期コンサートをやっておられる、越知町の協力隊員の方がゲストで来られるそうで、こりゃ必聴ですな。
違和感
って、あれえ。今日は比較的真面目なことばかり書いている気がする。
いかん、この調子では明日、季節外れの台風が来るやもしれん。
ということで(どういうことか)、先日仕入れたアイスくりいむでも食らいまひょか。
お初です |
「高知県」「土佐」「塩」の文字面に惹かれ、よく説明を読まず「塩バニラ」的なやつかと思い込んでいました。
ブルーやんけ |
ブルーシールアイスの中身だったら分からんでもないが、これは予想外の青さ。
そして、まるでバニラ感はない。 微かにミルク感があるのみ。
改めて蓋を見てみると、どこにも「バニラ」の文字はなく、詐欺でも何でもないわけです。
まぁ、これはこれで美味しくペロリと食べてしまったのですが、私のアイス「クリーム」欲は【なんぼし】消化不良だったとさ。
てんで、本日の高知ことば【なんぼし】は、打ち消しの語とセットで【ほとんど】(〜ない)の意味で使われます。
例)あこのラーメン屋、いつみても【なんぼし】客がおらんで。
ほんじゃーに。
0 件のコメント:
コメントを投稿