2017年12月18日月曜日

ふらふら【フラフ】

*本日、生きた証*
 AM:しんだかんじ
 PM:じむなかんじ
  夜:嬉しい再会

縁起語り

どもど、も、たっちーです。

自信ありますか、歌。
ダンス、球技と並んで不得手であって、やらざるをえない状況に出くわすたびに憂鬱になります。
音程はそれほどひどくないそうですが何しろ声が出ない、マイク入ってんのかと確認される、かといって下手と分かっていると練習する気も起きず、進歩なき悪循環です。

歌といえば。

四万十町は窪川に伝えられている次の歌は、五社さんこと高岡神社の境内社「兒安花神社」に所縁があります。

 五社のお庭の子安の桜、折って一枝欲しゅうござる

その名の通り

単に「一枝欲しくなるほどの美しい桜」だけでなく、安産や子供の健康の護り神としての霊験があらたかであることを謳ったものだそう。

かつて高岡神社には60mを超える大杉があったのですが、豊臣秀吉が大仏殿の修復のため立派な木を全国各地に献上させた際に伐採され、その根元は土に埋もれてしまいました。
しかしその後一本の桜が生え、どこぞの人とも知れぬ翁が『ここに元あった大木は神木で、この桜はその木の精、神の権化。嬰の木である桜は、子供の守護神であり、安産の神である』と言い残し立ち去ります。

桜の木は神として拝められるようになり、葉を護符とすれば難産の女性も安産したといい、時を経るにつれ子供の護り神、縁結びの神様として参拝客が増えたそうな。

お隣は今宮神社

もっとも、今社務所前に植えらえれている木はもう3代目。

1651年、山内忠義の頃に五社さんが造営された際、安産の御守りとして枝が折られ、皮をはぎとって持ち帰られたために枯れ死んでしまったことから、地元の人が枝に小社を祀ります(これが"子安の宮"の始まり)。
その後、神主によって植えられた桜は大木となるも、昭和14年頃に再び枯れてしまったの
だとか。

PUSH

こう聞くと、信仰の力というものは強いと改めて思わされます。
形を少しずつ変えながら、何代も受け継がれてきた土地の人の精神を感じられる、神社とは生きた歴史の教科書ですなぁ。

なんて珍しく歴史について書いてみたのは、普段のふざけた記事に危機感を覚えただけでなく、昨日「歴史密着型地域おこしin東京」に参加したからであります。

その名も『東京で三次ゆかりの地を巡りながら、三次ゆかりのひとを探すツアー』。
昨年末からご縁のある広島県三次市の皆さんが、東京で行っている地元PRの一環で、12月14日の赤穂浪士討ち入りの日に併せて開催されています。

いざ出陣

というのも、赤穂事件を率いた浅野内匠頭の妻、瑤泉院こと阿久里姫が三次の出身だからですね。
阿久里姫の墓のある泉岳寺をはじめ、吉良邸や切腹の地、赤坂氷川神社など所縁の地を巡ってゆくのですが、義士の名が書かれたハッピにハチマキ姿の大人がぞろぞろ歩くので当然目立ち、道行く人も「何なに?」と声をかけてくれます。

そこで役に立つのはこのカード。


疑問をなげちゃう

歴史に詳しくない私、カープ選手の出身地でなければ恐らく読めなかったでしょう、MIYOSHI。

街で読めるのは三次/広島に何かしら縁があったり、歴史好きだったりして、「どうして読めるんですか!?」の質問から、話が弾んでゆきます。
このカードひとつで、東京と地方の人と人が「つながる」、むしろ「つながり」が可視化されると思うと、シンプルなのにすごい仕掛けではないでしょうか。

義士の墓参りも

もっとも「四万十」の場合、大抵「しまんと」と読まれてしまうので(それだけの知名度は誇るべきところながら)、全く同じ手法は使えませんが、東京におけるプロモーションのヒントになるのではないかしらん。

……んーーーー、沈下橋をどーんと描いたフラフを立てて、都内の河畔を練り歩く……とか?

てんで本日の高知ことば【フラフ】は、【旗】や【のぼり】の類を指す際に使われます。
 例)立派な【フラフ】が出ちょったけんど、祭りでもあるんかね?

ほんじゃ。

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