2017年6月17日土曜日

見い【ひん】とって

*本日、生きた証*
 AM:嵯峨・嵐山探検隊
 PM:舞台からは飛び降りない
     祇園ふらり
   夜:うまうま鉄板隊

転換しすぎの気分

どもども、たっちーです。

栄えてますか、駅ビル。
川崎に住んでいた子供の頃、ちょっとしたお出かけというと東京方面ではなく、横浜へ出ることがほとんどでした。
ただしあまり繁華街の方へは行かず、もっぱら駅ビルや、そごうや高島屋のような駅直結の百貨店が印象に残っています。
昨今はみなとみらい地区に人気で抜かれつつあることも受けてか、再開発が加速している横浜駅周辺、街の玄関口として盛り上がりを取り戻してほしいものです。

駅といえば。

外観のインパクトが強く、施設内容も充実している所としてパッと頭に浮かぶ駅ビルのひとつは、なんといっても……

MOMAにも褒められそう

京都でしょう。

ものすごく近代的、むしろ近未来的だと思っていたのに、原広司氏の設計によって建築されてから今年で20年と聞き、驚きです。

ピカピカのガラス張りの巨大な建造物は、古都・京都には一見似つかわしくないようにも感じられるかもしれません。
けれど一歩中に入ってみれば、中央コンコースの巨大なアトリウムは非常に開放的だし、折々のイベントの舞台になるという大階段や、空中散歩をしているようなエスカレーターや通路は普通に利用するだけでも面白い。

隈研吾氏による梼原町「雲の上のホテル」然り、建築家というものは、ただ建物や空間を設計するだけでなく、人の体験そのものをデザインするお仕事なのだとつくづく感じますね。

で、どうして唐突に京都の話かと言いますと。

清水寺にて
ドヤポーズ

来てしまったからです、唐突に。

但しこれといって特に京都である理由は皆無、友人との「何かとツイてないこと続きの本年をどげんかせんといかん会議」の結果、とりあえずパワーのありそうな所で運気を変えちゃおうよ! という勢い任せの旅でございます。
(なお間違っても「息抜き」とか「羽伸ばし」なんて言えません、私の場合は普段から抜きすぎ、伸ばしすぎという自覚があるから)

とにかく、2017年も一瞬にして上半期が過ぎてしまったことに衝撃を受け、しかるのち危機感を覚え、半ば衝動的に飛び出したってわけです。

それなりに考える

危機感を覚えているなら、遊んでる場合かーい! と思われるかも知れませんが、闇雲に観光している訳ではないのです。

何せこのところ、県外に出ると「四万十では…」「高知だと…」と半ば無意識的におらが町と比較する癖がついているもので。

例えば、コーディネーターを務める窪川高校の授業「しまんと未来編集会議」では窪川駅前の再開発計画をテーマにしたこともあって、駅舎ひとつをとっても自然と考察の対象になります。
(先ほどの京都駅はスケールが別次元ですけれど)

ちょっとした工夫で

夜行バスで到着し、JRで向かった「嵯峨嵐山駅」は内装・外装ともに和の趣で街並みによく馴染んでいました。
とりわけ印象に残ったのは、改札を出てすぐの広間の上部にあったガラス細工で、案外地味なところだったり。

窪川駅にしたって、隣接する役場の庁舎同様に特産の木材を生かした風合いになれば、駅そのものが名所になるでしょう。
むろん現実的には、全面改装は難しいはず、けれどこのガラスのような小さな工夫が、利用する人の体験を新たにデザインする可能性も大いにあるということね。

各国からお客さん

嵐山の一大観光スポットである「竹林の小径」だって、要は景観的に整備されているか否か(と恐らく市街地から近いか)が異なるだけで、素材としての竹なんて高知にも腐るほどあるわけです。 
もちろん、嵯峨嵐山にお客さんが途絶えないのには「京都」という強力な世界的ブランがあるに違いないけれど、「四万十」だってそれこそ全国ブランド。

また、放っておくと竹だらけになってしまうってんで、土地を持っている方々共通の春先の悩み「半エンドレス竹の子堀り」問題だって、都市部の人間からすれば物珍しい体験メニューになるはず。

どでーん

「京都=宇治茶」のようなイメージ戦略にまんまとのせることができれば、観光客は「食べる」という体験のために結構なお金を落としていくのですよね。
もっとも、とりまく環境や歴史の異なる地域を単純に比較することはでき【ひん】のですが、「対比」は物事を考えるひとつのヒントになると思います。

てんで、本日は京都ことば【〜ひん】は、主に上一段活用(活用する直前がイ段)の動詞の後について【〜ない】と否定の意味を表します。
 例)もうこの服は着い【ひん】から、思い切って捨てますわ。

ただし、上一段ではない「来る」も「来いひん」になることがあるそう。

ほんじゃーに。

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