2017年2月6日月曜日

【ちゃきって】もしゃあない

*本日、生きた証*
 AM:四万十ケーブルテレビさん訪問(窪川高校でのイベント用資料収集)
     事務作業@大正地域振興局
 PM:先輩隊員からの引き継ぎ@大正駅前にぎわい拠点
     イベント企画書作成
 夜  :ウゴウゴしながら町民講座用資料閲覧
     師匠の新刊を拝読

引き続いて、闇

どもども、たっちーです。
個人の趣味から、町公認の移住ブログに昇格(?)し、晴れて「おシゴト」として執筆できるようになった矢先、方向性を見失うという事態に直面しました。
いつまでウゴウゴやってんのよ、そんなに悩むほどの大したモノではないじゃない☆ というツッコミはまさにその通り。
ですが私が行き詰まるのも、またある種当然ともいえるのです。

なぜって?

昨日の高知新聞は記念すべき
40010(しまんと)号

他人のブログを継続して読むこと自体に、全く興味がなかったからです。

とはいえ自分も文学専攻のハシクレ、お気に入りの作家や翻訳家、脚本家、ミュージシャンのエッセイや随筆が出れば、好んで読んできましたし、人が日々どのように感じたり考えたりしながら生きているかには大変関心があります。

しかし、そもそもデジタルなモノとの相性がよろしくなく、「元ネット通販会社で情報セキュリティ担当」なんていうのは、人生でも最大レベルの間違いともいえるのです。
自社の電子書籍リーダーを新宿のビックカメラの店頭で販売していたこともあるけれど、本は断然紙派、いっそネットに繋がらなくていいから大学図書館の地下書庫に住みたい。
だから、ブログというツールは元より相性が悪かった。


それなら、いっそ?

加えて、それこそ(私にとって、上記の作家やミュージシャンたちのように)余程「好き!」という思いが強い相手のものでない限り、ダラダラ綴られた私生活なんてぶっちゃけどうでも良くないですか?

ポルトガルのお土産
いただいたぜ

とまで言ってしまうと、この半年自分が寝る間を削ってやってきたことを全否定するようなもの、半ば自殺行為です。
もっとも、元日本語教師という肩書きのもと「1日ひとつ、高知の方言を紹介する」体でかろうじて「中身」を作ろうとしてきたのですが、投稿数も200近くなれば書く方も読む方も新鮮味はなくなりましょう。

それならば、やめちゃえば?

確かに、それもひとつの手かもしれません。 
おかげさまで、初めは「自分で仕事を作り出さなければ」という焦燥感に駆られていた着任当初とは違い、協力隊として任せていただくこと・できることが増えてきたことも増え、日々の活動をそれらしく絞り出して記録しなくとも良くなってきました。

古い写真はまだまだ募集中
元々誰に頼まれて始めたことでもなく、担当を仰せつかった町の移住ブログさえある程度コンスタントに更新し続けていれば、任務放棄にもならないのです。

そうよ私は、ヘビ年のオンナ

でも、私のように何にでも熱しやすく冷めやすい人間にとって、辞めるのは何時でもできる、実に簡単なことであって、真に挑むべきは「続ける」こと。 
続けた先に見えるもの、やり通したからこそ得られるものを、イイ年して理解していない気がします。

その程度の人間が、 教育に携わりたいとな? いと片腹いたし!
とことんもがいてやろうでないの、だって私はしつこいと呼ばれる 巳年の女、ネバネバする素質はきっとどこかにあるはずなのです。

そう、だってここは
四万十源流合衆国だもの

と、あなたにとってどうでも良いブログの、どうでも良い裏側をつらつら、つらつら。
もしここまで目を通してくださった方いたら、もう特製のポストカードあげちゃう。
でも、いくら【ちゃきった】って仕方ない、これがワタクシなのであります。

てんで、本日の高知ことば【ちゃきる】は【気取る】という意味で使われます。
 例)あいつ、女の前ではいつも【ちゃきり】ゆうけんど、大したことないで。

ほんじゃあに。

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