2017年9月23日土曜日

【かま屋】へGO

*本日、生きた証*
 日中:中村トリップ
  夕:死んだようなもの

ハレときどきブンガク

どもども、たっちーです。

ネバネバですか、水戸。
かねてから聞いてはいたのですが、食文化としての納豆は東日本で発展したもので、西日本は比較的苦手な人が多いですね。
自分は子供の頃にいつの間にか食べるようになっていましたが、日常的な存在でなくして育った人が冷静に見れば、あの形状と臭いのものを食べようとは思わないだろうな。

水戸といえば、茨城。
「キ」違いで無理やり繋ぐと、最近ひょんなきっかけで、茨城のり子の詩集を手にする機会がありました。
彼女の作品は、小学校の国語の教科書で「わたしが一番きれいだったとき」を読んだくらいでしたが、今の自分にグサリと刺さる一編に出会ったのでどうしてもご紹介したく。
(長い引用になりますがご容赦)


画像がないので四万十川の風景を

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を 
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするは
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

ー「自分の感受性くらい」(2005), 花神社, pp.14-16

佐賀の海でつなぎます

何も言えない。 むしろ、なんかもうすみません。
そうなんだよ、このカサつきは全て自分の責任さ。



そもそも、学部時代はブンガク専攻だったくせに「詩」は苦手、子供の頃から縁遠いジャンルでありました。
しかし、このように「今読むべくして読んだ」かのごとき奇妙な縁を感じることもごく稀にあったりして、文学作品との出会いとは極めて不思議なものです。

他にも言葉の力を圧倒的に感じられる詩がたくさん詰まっていたので、チャンスのある方はぜひご一読を。

いっぽうで

なんて、ブログをみてくださった我が師匠から「君は毎晩飲んでいるねぇ」とのコメントがあり、イカンたまには真面目(風)なことを書かねばと焦って取り繕ってみました。

けんど、結局は美味しいものを食べる、それを紹介する、のが主なお仕事のようになっているのも事実です。
(その割に写真技術が向上しないのだけどね)

おはつです

例えば、今日。
前々から予定してわざわざ1日空けていたのに、盛大なドタキャンを食らって腹を……立ててもよかったけれど、それもクダラナイので空かせてみました。

で、或るバイト先の常連さんが、連日通い詰めるという老舗うどん店があると聞きつけ、急遽同行させていただきました。

中村駅すぐそばの「手打一番」さん。

おおお

うどん文化がメイン、美味しい蕎麦にはなかなか出会えない四国ですが、ここは蕎麦も評判だそうで。
メニューを眺めると、ものすごい種類があって悩むのなんの……

けれど、とにかく今回はオススメのうどんっちゅうことで、醤油で下味のつけられたとろろがのっかった、

どーん

山芋うどん。

に、

衣たぷーり

天ぷらを別盛りで。
衣はサクサクの方が好きなのです。

嗚呼。

美味ぇ……

讃岐うどん、と称してはいるものの強すぎぬ程よいコシ、歯切れ。
ほんで、胃と心に染み渡る優しい出汁。
少し涼しくなってきたこの季節には嬉しいですなぁ。

そしてこのボリューム、お腹空かせていったのにそれはもう大満足でありんした。
11時半の開店と同時にほぼ満席になっていた人気店、もう40年ほどの歴史があるそうで。

カウンター越しに【かま屋】を覗くと、(おそらく)親子ふたりで麺を茹で、天ぷらを揚げ、盛り付けるという華麗な連携が。

再訪確実のお店リストが増えました。

てんで、本日の高知ことば【かま屋】は【炊事場】という意味で使われる幡多弁です。
 例)おかぁ? 【かま屋】におるで。

ほんじゃーに。

0 件のコメント:

コメントを投稿