*本日、生きた証*
日中:脱藩
夜:お久しぶりのご挨拶
落ちましたか、鉄棒。
腕力には自信があったものの、体が大きすぎ・重すぎたせいか、小学校に入っても逆上がりのマスターには時間がかかりました。
できないことはやらない主義、鉄棒自体あまり触らずにいましたが、高いところ好きが高じて背の高いタイプにはよくぶら下がっていました。
前回りをし終わったと思って手を話したら、実はまだ回転の途中で見事に顔面から落下、鼻を強かに打ち付けて病院送りになった記憶は鮮明です。
折れてこそいなかったけれど当然鼻血ブー、だから今こんなに鼻がでかいのかなぁ。 遺伝?
落ちるといえば。
昔から注意力が散漫で生傷の絶えないタイプで、半年に一回ぐらいの頻度で階段から落ちる、という悪癖があります(今だに…)。
でも、得てして階段の先にはステキな世界が広がっていたりする、ゆえに懲りずに登ってゆくのです。
今回もそう、先日初めて訪れた香美市立美術館は、珍しく入口と会場が2階にありました。
休みだからとて、どうしてわざわざ土佐山田まで? の理由は、現在開催中の企画展「記憶の街 記録写真は時代を歩く」にお邪魔するためであります。
四万十町は窪川の「写真のたけよし」のご主人・武吉孝夫さんが昭和51年、高知の街なかをひたすら歩き回ってシャッターを押し続けた記録、その個展です。
窪川高校の授業で、古い窪川の街並みの写真を収集するにあたってお世話になったご縁から、恐れ多くもご招待に預かりました。
氏が「作品にしないこと」をポリシーとして作業に没頭したとおっしゃる通り、当時の日常の一風景をそのまま切り取ってきたような、まさに写真の数々が並びます。
もちろん、主観性を排除するといっても人の気配を取り除いたわけではなく、むしろその風景を構成する要素として人が積極的に取り入れらているところが面白い。
移住してきた自分は当然、40年以上前どころか10年前の高知すら記憶にありません。
それでも、見覚えのある場所が映し出されれたものには「昔はこうだったのか」としげしげと眺めてしまうだから、当時を知る方の感慨深さは測り知れません。
平成生まれの私にとっては、漫画や映画でだけ見たことのあるようなファッションや乗り物、看板やポスター、日用品や食品などなど、その頃の世俗を表すもの全てが珍しく感じられます。
ああ、サザエさんが持っていたようなカゴバッグ、おばちゃんは本当に買い物に使っていたんだなとか、高知でもやたらと長いスカートとリーゼント姿の高校生カップルが闊歩したいたんだなとか、吉永小百合が若かった時は映画館もたくさんあったんだなとか。
武吉氏は繰り返し「なっちゃじゃない」とおっしゃるけれど、当時を知る人・知らない人それぞれに対して様々な記憶と想いを引き起こす、実に沢山の意味を持った貴重な写真です。
撮影中に履いていたという靴です。
数え切れないほどの写真を収めるべく西へ東へと歩き回れば、当然履き潰れるであろうに、それをまた丁寧に保管してあるところ……ここにも「記録者」としての氏の魂を感じずにはいられません。
で、影響されやすい私は、「うーん歩くって大事!」と移住以来の車生活、ハイパー運動不足を心から恥じ、せっかくだから土佐山田の街あるきへ出かけました。
もっとも鍛えられるほどの距離や速度でもなく、あくまでお散歩にすぎませんが……。
実家から通勤・通学していたころは、毎日1時間近く当たり前に歩いていたぐらいですから、そもそも歩くのは好きなんだよなぁと改めて思い出しました。
田舎では確かに、車がなければ仕事にも生活にも支障がでるけれど、運転席からはまず気づくことのできない風景や店、モノやヒトにであうことができます。
武吉さんのように、誰かに共有できるような写真は残せなくとも、いつかことばで表現できる日もくるかもしれないし……
なんてぼうっと考えながら、ポテポテ歩き続けましたとさ。
にしても天気予報でひやい、ひやいとあんまりいうものだから、ヒートテックにセーターを【うったつけ】て出たらさすがにちょっと、暑くなりました。
てんで、本日の高知ことば【うったつける】は【重ねる】【覆う】という意味で使われる土佐弁です。
例)日に焼けるといかんけん、その辺の布でも【うったつけ】ちょこか。
日中:脱藩
夜:お久しぶりのご挨拶
やっとの訪問
どもども、たっちーです。落ちましたか、鉄棒。
腕力には自信があったものの、体が大きすぎ・重すぎたせいか、小学校に入っても逆上がりのマスターには時間がかかりました。
できないことはやらない主義、鉄棒自体あまり触らずにいましたが、高いところ好きが高じて背の高いタイプにはよくぶら下がっていました。
前回りをし終わったと思って手を話したら、実はまだ回転の途中で見事に顔面から落下、鼻を強かに打ち付けて病院送りになった記憶は鮮明です。
折れてこそいなかったけれど当然鼻血ブー、だから今こんなに鼻がでかいのかなぁ。 遺伝?
落ちるといえば。
昔から注意力が散漫で生傷の絶えないタイプで、半年に一回ぐらいの頻度で階段から落ちる、という悪癖があります(今だに…)。
でも、得てして階段の先にはステキな世界が広がっていたりする、ゆえに懲りずに登ってゆくのです。
やっと来ました |
今回もそう、先日初めて訪れた香美市立美術館は、珍しく入口と会場が2階にありました。
休みだからとて、どうしてわざわざ土佐山田まで? の理由は、現在開催中の企画展「記憶の街 記録写真は時代を歩く」にお邪魔するためであります。
四万十町は窪川の「写真のたけよし」のご主人・武吉孝夫さんが昭和51年、高知の街なかをひたすら歩き回ってシャッターを押し続けた記録、その個展です。
窪川高校の授業で、古い窪川の街並みの写真を収集するにあたってお世話になったご縁から、恐れ多くもご招待に預かりました。
ファッションとかバイクとか |
氏が「作品にしないこと」をポリシーとして作業に没頭したとおっしゃる通り、当時の日常の一風景をそのまま切り取ってきたような、まさに写真の数々が並びます。
もちろん、主観性を排除するといっても人の気配を取り除いたわけではなく、むしろその風景を構成する要素として人が積極的に取り入れらているところが面白い。
移住してきた自分は当然、40年以上前どころか10年前の高知すら記憶にありません。
それでも、見覚えのある場所が映し出されれたものには「昔はこうだったのか」としげしげと眺めてしまうだから、当時を知る方の感慨深さは測り知れません。
おもいだして
実際に会場内では、「これは○○だね」「そういえば今、ここはどうなっちゅうがやろ?」などと連れ合いとやりとりする中高年のお客さんが多くおられました。商品ラインナップもみちゃう |
平成生まれの私にとっては、漫画や映画でだけ見たことのあるようなファッションや乗り物、看板やポスター、日用品や食品などなど、その頃の世俗を表すもの全てが珍しく感じられます。
ああ、サザエさんが持っていたようなカゴバッグ、おばちゃんは本当に買い物に使っていたんだなとか、高知でもやたらと長いスカートとリーゼント姿の高校生カップルが闊歩したいたんだなとか、吉永小百合が若かった時は映画館もたくさんあったんだなとか。
武吉氏は繰り返し「なっちゃじゃない」とおっしゃるけれど、当時を知る人・知らない人それぞれに対して様々な記憶と想いを引き起こす、実に沢山の意味を持った貴重な写真です。
コメントをください |
印象的だったのは、「教えてください」のコーナー。
これは、撮影した氏自身が「大体の場所」しか分からない写真をスクラップにまとめ、場所の特定に繋がるような情報を持つ人はぜひメモを残してくれ……というものです。
寄せられた数は決して多くないけれど、かなり有力な情報もあったりして、メモを残せなぬ客の立場で眺めるだけでも面白かったです。
あるけども、あるけども
会場には、往時のカメラや氏の撮影メモなど、写真以外のものも多数展示されています。
歴史、というよりも、氏の「根性」が垣間見えたのはこちら。
歴史を刻む |
撮影中に履いていたという靴です。
数え切れないほどの写真を収めるべく西へ東へと歩き回れば、当然履き潰れるであろうに、それをまた丁寧に保管してあるところ……ここにも「記録者」としての氏の魂を感じずにはいられません。
で、影響されやすい私は、「うーん歩くって大事!」と移住以来の車生活、ハイパー運動不足を心から恥じ、せっかくだから土佐山田の街あるきへ出かけました。
もっとも鍛えられるほどの距離や速度でもなく、あくまでお散歩にすぎませんが……。
昼も短し 歩けよフトメ |
実家から通勤・通学していたころは、毎日1時間近く当たり前に歩いていたぐらいですから、そもそも歩くのは好きなんだよなぁと改めて思い出しました。
田舎では確かに、車がなければ仕事にも生活にも支障がでるけれど、運転席からはまず気づくことのできない風景や店、モノやヒトにであうことができます。
武吉さんのように、誰かに共有できるような写真は残せなくとも、いつかことばで表現できる日もくるかもしれないし……
なんてぼうっと考えながら、ポテポテ歩き続けましたとさ。
にしても天気予報でひやい、ひやいとあんまりいうものだから、ヒートテックにセーターを【うったつけ】て出たらさすがにちょっと、暑くなりました。
てんで、本日の高知ことば【うったつける】は【重ねる】【覆う】という意味で使われる土佐弁です。
例)日に焼けるといかんけん、その辺の布でも【うったつけ】ちょこか。
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